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JC PRIDE 発信事業 第2回鼎談

公益社団法人 上越青年会議所 総務委員会が行います 「JC PRIDE 発信事業」は、各分野のリーダーと保坂理事長が対談(鼎談)を行う企画です。
対談内容は、上越タイムス誌面に掲載させていただき、幅広く地域の方に向けてJC活動を発信していこうとする事業です。

2回目の今回は、拓殖大学大学院 遠藤浩一教授 と、新潟県商工会青年部連合会の宮崎工会長をお迎えしお話をさせていただきました。
リーダーの定義は?上越という地域の特色は?など幅広いテーマでお話をいたしました。

上越タイムス3月31日記事

JC4面

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続きの記事(上越タイムスの続き)は、こちら

遠藤 日本のような、世界の文明史的に見ても成熟した社会というのは、腕力も大事だが、それだけでは通用しない。合意形成能力、構成員への説得力が肝腎。と言っても、雄弁にまくし立てれば人々が付いてくるかというとそうではない。
 説得力は、いろんなものの複合した力だ。人間的魅力や包容力、誠実さ、あるいはお金がモノをいうときもある。そう単純な話ではない。説得力とは、ある意味忍耐力だ。我慢の容量がどれだけ大きいかがリーダーにとって大事なところ。他者に向かって影響力を行使するという目的のために忍耐するわけだ。ともすれば耐えるということはあきらめになってしまうが、それではリーダーは務まらない。耐えながら、つまり相手の話を聞きながら、説得を繰り返していくことだ。
 今日の大衆民主主義社会で当を得たリーダー論を言っているのはリチャード・ニクソン。『指導者とは』(Leaders)は、最も今日的価値のある指導者論だと思うが、そこで「リーダーは、自ら話すだけでは十分ではない。よく聞くこと、また同時に、いつ沈黙すべきかも知らねばならない」と述べている。
 物書きは、自分を裏切らない文章をどう書くかが問われる。読者に賛同を求めることを目的として文章を書いているわけではない。ある意味で黒白をつけるところに妙味がある。これに対して指導者の物言いは、他者の賛同を求めることを目的としたものでなければいけない。「あいつとおれは違う」と最初から排除してはもうリーダーじゃない。違っている相手をどうやって包含していくか、グレーゾーンを拡大していくのがリーダーの仕事だ。

 宮﨑 聞き入れる忍耐、というか。いろんな意見、考えを聞き入れて、それに対して納めどころをどこに持って行くか、というのがリーダーが示す道として難しいところ。青年部員でもいろんなことを言う。「それは違うだろ」と思っても、そういう考えもあるな、と聞く、理解しようとする忍耐がリーダーに必要な要素かと思う。

 遠藤 明快なビジョンをリーダーが持っていて、それに向けて人々の意思をまとめていくにあたって「聞く」という行為は絶対的に必要。頭ごなしにいっても通用しない。ごり押しで運営できない。
 ビジョンを共有させるためにまず受け身になる。人一倍、気楽ではないものを引き受けるのがリーダーの宿命だ。

◇上越という地域の特色は?
 
保坂 良く言われるのは、自然豊かで食べ物もおいしい、水がきれいで米も酒もうまいというところ。十三町村と一市が八年前に合併、古くはその三十年前に高田市と直江津市が対等合併している。それぞれの地域でコアな文化が混在している街。一つに統一されていないというか。それぞれ地域の思い入れはあるが、いま一つの市になった全体に対しての意識が薄いのと、街がばらばらになっているのが実際にある。
人間的には、日本人の特色でもあるのかもしれないが、奥ゆかしいというか引っ込み思案というか。積極性に欠けるというのがある。ぼくは九年間ほど関東にいて(上越に)帰ってきて、関東の人と地元上越の人の違いで一番感じたのは、遠慮深い性格ではあるが、誰にでも温かく、人のことを疑わないというところ。それは良いところでもあり悪いところでもある、という気がしている。

 宮﨑 経済的な観点から上越を見ると、理事長がおっしゃったように、引っ込み思案な人種が多い土地柄。よそから見ると商売下手な地域だと思う。県の中で見てもそう。上越は、おかげさまで化学工場やいろんな産業があるがために何とか動いている感じ。長岡、三条でいう金物や、見附でいうニットとか、古くから培ってきた産業があるが、上越には何がと考えた時、残るのは近代的化学工場がここ数十年くらい産業を支えてきたような感じだ。 上越というところは、歴史は古いが経済産業はできあがったばかりの市場のような気がする。 田舎者がそういう産業を相手にやっているものだから、仕事がうまくいかない。そんな土地柄という気がする。
 この職務(新潟県商工会青年部連合会長)について、外から上越を見た時、そういうことに気がつかされて。よその経済を見ると、商売に対するもっと違ったアクセスの仕方を考え、知恵を出している。上越はへたくそだなぁ、というのが正直な話。
 
遠藤 でも、そういう自己観察ができているということは、自分を客観視しているわけだ。
 地域特有の特色、住まう人々の性格は変えられるものでもないし変える必要もない。そうであるということが宿命である。その中でどうするかという話だ。
今の話は、日本がどうやってサバイバルしていくかということと通底している。日本人はウソをついても銭もうけをするというような国民性ではないし、ダブルスタンダードを平気で駆使できるわけでもない。謀略は大の苦手だ。しかし善し悪しの問題でなく、国際社会とはそういうことが罷り通る場なのだ。そこでどうやって生きていくか。私たちは日本列島の中で自閉しているわけにはいかない。彼らと真っ向から対峙し、自己を失うことなく正義と美学と利益を追求しなければいけない。
 違いを認識し、弱いところを自己観察なさっているとすれば、すでに課題ははっきりしている。乗り切るためにどうすべきかを考えればいいだけの話。
 間違ってもその時、「自分が変わらなければいけない」と思わない方がいい。変わるのではなく成長する。自分という心棒を、いろんなものを貪欲に取り込むことで太く豊かにしていく。アメリカでオバマ大統領が誕生したときに「チェンジ」と言って、日本も悪乗りしたが、チェンジなんてあり得ない。「変化」ではなくて、異質な人とどう付き合い、場合によっては戦っていくか、そのために何を取り入れていくか、つまり「成長」とか「成熟」が問われている。
 先ほど、リーダーシップとは忍耐力であるという意味のことを言ったが、そうであるとすると、この上越の方は、生粋のリーダーとしての資質があるということになる。
 足らざるものをどう積み重ねていくか。私は、日本文明の本質は重層性と包含性だと思っている。重層性とは、積み重ねていくこと。基底があり、それに貪欲にいろんなものを重ねていくことで自分自身を豊かにしていく。包含性は、文字通り包み込んでいくことだが、その基盤にあるのは神道だ。日本文明は神道のもと、いろんなものを包含することで、強靱でたくましいものになってきた。
 「上越とは何か」というものをお二人とも明快に意識されていて、足らざるものを意識しつつある。そこでどうリーダーシップを発揮するかは、変わることでなく自分を豊かにし、体力をつけて、可能性を拡大していくことだという気がする。

 保坂 消極的で遠慮がちな上越と、国際社会に対しての日本とをラップしてとらえてしまう。隣りの富山や長野からいろんな部分で攻められていて、どの業界も受け身。これが実は国際社会の中の日本と、中国、韓国、ロシアとラップして感じている。本当の日本人の特質がこの上越にあるなと感じている。

 遠藤 稲作を中心とした共同体は、日本的共同体の核心。最も基本的な形だ。そこで「おれがおれが」では、共同体は崩壊する。譲り合って遠慮して、何となく誰かがまとめることでうまく機能してきている。ところが、そうではない異文明と出会ったとき、それが長所であり短所であるという問題に直面する。
 しかしそれを自覚して、自らを見失うことなく、サバイブしていかなければならない。上越の中でもいろんなキャラクターを持った人が、あるいは企業があると思うが、各々の個性をどう引き出していくか、これがリーダーに求められるセンスではないか。

 宮﨑 東日本大震災の時、日本人のモラルの良さが国際的に現れた。古来からの国民性が武士道につながり、自分たちの美徳、センス、思想があって。今、若い子のモラルのなさがうたわれる中でも、中心となる日本人の美的センスが守られていたんだな、と感じた。
 最近、中国との問題があって、そこと折衝するに日本のリーダーはすごく大変だなと感じる。 今まで、自分の中では、日本は敗戦国だからこういう政治をせざるを得なかったのか、などと考えていた。中国の歴史をひもとくと、侵略の歴史だった。それを考えると、侵略したいという流れは現代も変わっていない。
 
遠藤 「避諱(ひき)」といって、中国人は、ある目的のために確信をもってウソをつく。それが彼らの正義だ。この点において論理的にも倫理的にも我々とは違う。日本は歴史的にそういう異なる論理と倫理を持った人たちと対峙(たいじ)してきた。まさに文明の衝突を繰り返してきたのだ。その深刻さは今日の安全保障、そして地域経済にいたるまで抜きがたくつながっている話だ。
 振り返ってみると、たった一回戦争で負けてしまったが、それでも国柄を維持してそれなりに国家が連続している。その強さは何か。人間、長じていくと皮膚感覚として何となくわかっていくと思うが、リーダーはたぶんそのことを説明する側に立たないといけない。
 それにしても、戦争は勝たなければいけない。敗れると六十何年たっても依然としてある種の一方的な価値観、秩序を強要される。
 中国は「日本は戦後秩序を変えようとしている」としばしば言うが、彼らが言う戦後秩序はヤルタ・ポツダム体制で、勝者による敗者の一方的な断罪。日本さえおとなしくしていれば世界の平和と安定は確保できる、という東京裁判史観。だがそれはサンフランシスコ講和条約締結で一回清算されている。公式には認めていないが、アメリカもヤルタ・ポツダム体制は間違っていた、日本を徹底的にたたいたけれども真の敵は共産主義であったとその後気づいた。それで日本を味方に引き入れる形でアジアにどう関与していくかを考え始めた。その帰結が対日講和だった。中国はそれに参加していない。彼らが主張する「戦後秩序」とは、日本=悪、中国=善という文脈において成立している。
 それに日本人自身も依然として引きずられているところがある。日本人であることを恥ずかしいと思い込んで、七十年近く生きてきたが、さすがに世代が代わると「俺らはそんなに恥ずかしい存在なの?」と疑問に思うようになる。従軍慰安婦の問題にしても、事実をもって反論している。健全な生存本能だと思う。
 温和な日本人も、温和な上越人も、理不尽なことには腹を立て、立ち向かう。当たり前の反応ではないか。

◇戦国武将に見るリーダー像
 遠藤 上越春日山というと、上杉謙信公。上越地域の太守として領国を守り、雪が溶けると関東に出て行って管領としての職責を果たす。そして雪が降ると戻ってくる。なかなか上洛ができない。あれだけの英邁(えいまい)な君主で、戦闘能力もあったにもかかわらず、この地域をどう守るかに誠心誠意ささげたがゆえに、日本国のリーダーにはなれなかった。そこにドラマがあった。人間的な魅力があった。越中から加賀、敦賀を経て上洛するべきだという議論もあったが、彼の美意識と地域に対する責任感がそれを押し止めた。
 織田信長は対極的で、ある意味日本人離れした日本人だった。守るものを持たない人だったといってもいい。権威を一切認めなかったから、比叡山を焼き討ちし、将軍を見下してせせら笑った。皇室も含めすべて相対化されていたのではないか。危険なリーダーであったのは間違いない。危険だけれども力があった。ここが歴史の難しくて面白いところ。
 明智光秀の謀反も、正統を回復するための義挙という説(井尻千男氏)がある。歴史の転換点だった。

 保坂 明智光秀が皇室を守るためという危機感で謀反を起こしたという視点を知ったとき、今までとは本能寺の変の見方が変わった。

 宮﨑 時代時代でその時代に必要とされるリーダーが現れる場合と、そうでない場合と。世の中にそぐわないリーダーはどこかしらで退路を断たれるというのがあるだろう。明治維新のころの坂本龍馬とか、日本のリーダーは求められて時代を動かせたんだろう。

 遠藤 坂本龍馬はリーダーというより卓越した参謀だったのではないか。リーダーを結びつけた独特の才能。包含力のモデルは西郷隆盛だろうが、その愚直さが彼自身の政治生命を短いものにした。大久保利通は能吏で切れる人だが、彼とて全うできたわけではなかった。
当時のリーダーのあり方はおもしろい。それぞれが役割を分担していた。明治維新という、日本が近代の欧米列強に対峙(たいじ)していくための構造改革を迫られたとき、誰か一人のリーダーに依存するのではなく複数のリーダーが出てきて、いろんな軋轢をくぐり抜けながら何とかやっていくというかたちだった。
 そこに近代の日本的リーダーシップの特色がある。幕末に無理矢理、しかし必然的に開国して、不平等条約を呑まされて、その条約改定に向けて陸奥宗光や小村寿太郎が奮闘した。彼らは、江戸の素養を持っていた。そういったリーダーが何人もいることで、明治という大変な時代を乗り切ることができたのだろう。
 百数年前に日露戦争をやって、世界の大方の国が小国日本はこてんぱんにやられるだろうと思っていたら勝った。アメリカは、開戦直前は日本に対して冷淡だったが、勝った途端に畏敬するようになった。同時に警戒心も出てくるのだが、要するに、強いものに関心を持つということだ。
 日露戦争の開戦の決断を、当時のリーダーは下した。桂太郎という拓殖大の創始者がときの総理大臣だったのだが、なぜ決断できたか。藩閥政治から政党政治への移行期で、ぎりぎりリーダーたちが大きな決断をできる最後の時代だったのかもしれない。
 その後政党政治――民主主義になって、いろんな決断をするときにいろんな配慮をしなければいけなくなってきて、大きな決断がやりにくい世の中になっていく。
 大東亜戦争はむしろ開戦の決断というより、決断しないまま戦争に追い込まれていくという展開だった。判断の積み重ねのどこに問題があったのかというとらえ直しをしないといけない。独裁者がいて戦争に向かって突き進んだというストーリーは、こと日本では成り立たない。
 統御不能という問題は今日も続いている。日本は民主主義国だ。ヨーロッパの国々とそう変わらない時期から立憲君主制の立派な民主主義国家だった。日本は誇りを持って自由民主主義国だというべきだと思うが、しかし自由民主主義国は本当に政治指導が難しい。リーダーシップの発揮が難しい。
 企業のように収益を上げるという共通の目的があれば合意は形成しやすいが、国家はさらに複雑な利害がからんでくるし、価値観も多様だ。
 ニクソンは、「リーダーは一般の人々より(比喩的に)背が高くなければならない」と言っている。つまり高くて広い視野を持たなければならないということだが、同時に「リーダーは世論より先行することが必要だが、先走りすぎてもいけない」とも述べている。また「客を倦きさせた瞬間が身の破滅ということを、政治家は映画スターや映画会社の社長以上によく承知している」とも。大衆民主主義社会におけるリーダー論の要諦だと思う。

 保坂 今の政治の不安定が続いているのも、民主主義が成熟してきて、一つの指導者が突出する社会ではないというのが今の問題として出ているのかとも思うが。

 遠藤 そこがポイント中のポイント。戦後、アメリカの事実上の保護下に置かれた日本は、東西の冷戦という構造の中で、安全保障の枢要な部分はアメリカに依存し、日本人の特性を活かして額に汗して知恵と工夫でコストダウンして、高品質で良い物をつくれば国内外で売れて、昨日より今日、今日より明日は必ず豊かになるという夢のような時代を手に入れることができた。そういう時代には大きな決断をするリーダーシップなんていらなかった。利益の分配だけでよかった。それも談合で済んだ。国対政治と称してテーブルの下でどう分配するかという取引をすることで、幸福な時代を過ごしてきた。それは別の深刻な問題を生んだ。
 四半世紀前、ベルリンの壁の崩壊で、ヨーロッパでは冷戦構造に決着がついた形になると、アメリカにとっての冷戦の意味ががらっと変質する。東アジアでなお続く冷戦をアメリカ自身が見誤ってしまった。東アジアに対するアメリカの認識は歴史的にブレがあって、簡単にプロパガンダにやられる。当面の利益を追って中長期的な戦略を誤る。アメリカの対東アジア外交史は誤謬の繰り返しだ。そうした環境変化の中で、気がついたら、冷戦構造が残る東アジアでは、一党独裁体制の下なりふり構わず資本原理主義を追求する国家資本主義体制の国ができあがってしまっていた。
 今となっては、アメリカも、冷戦時代のソ連に対してやったような対決型の政策を、中国相手にはとてもできない。それ以前に腰が定まっていない。北朝鮮の核開発だって制御できない。
 そういう激変した東アジアの地政学的環境の中で最も深刻な脅威にさらされているのは、ほかならぬ日本だ。その日本で求められるリーダーシップは、これまでの冷戦構造の中で分配について談合していれば済んだ時代とは異質なものになっていることははっきりしている。
 地域経済を活性化させるためにも、中国という厄介だけれども巨大な経済圏とどうたくましく付き合っていくかが問われている。同時にしかし、中国に対してアメリカがいつまでも揉み手をして付き合うかどうかも見据えていかなければいけない。例えば、シェールガスが出てきて少し状況が変わりつつある。アメリカはこれから数年の間、世界経済の牽引役になるだろう。すると目先の利益だけ見る人はアメリカアメリカとなるが、その中で米中の関係がどう変化していくか、そこで日本がどう生き残りをはかるかを考えるとき、たぶん戦後民主主義的なリーダー像では通用しないと思う。
 
◇鼎談を終えて
保坂 限られた時間の中で伺ったリーダーの姿、理想像、自分で感じ得たものというのは、ずっと言われている忍耐力。僕なりにそれを自分の中でかみ砕くと、忍耐力という言葉と同時に、相手を分かってあげられる思いやりということにつなげていきたい。
 ビジョンを示し、自分の思いや信念を分かって貰うには、伝える相手を分かってあげなければいけない。それを分かるにはすごい忍耐力がいるな、と感じた。
 長岡の偉人である山本五十六元帥の名文句にもある「褒めてあげる」というところまで相手を理解でき、自分できちんと方向性を示してあげる、導いてあげられる、その自信を持つのがリーダーに必要だ、と改めて実感した。

 宮﨑 リーダーが自分の喜びとしてとらえられる部分は何だろうかと考えた時、自分のイメージしたビジョンにチームが向かってくれていることが一つの喜び。自分に付いてきてくれているチームが成長してくれているということが、リーダーにとって自分の成長よりも素晴らしいことだ、という観念が重要だと思っている。
 だから身近なところで言えば、社長のわたしよりも右腕の従業員が、若い子が育ってくれることが経営者にとって何よりもうれしいこと。そう考えると、リーダーが導いてあげられるビジョン、行く先というのは、付いてきてくれるチームが日々成長の階段を上りながらそこに導いてあげられる道筋を、その階段を掛け間違えないようにしてあげられるのが一番重要な職務なのかな。
 戦後の良い時代のリーダー像と、これからの日本を動かすリーダー像は考え方が違っていて、我々の先輩、上越の地域を築いてきた経済界の先輩たちのリーダー像と、我々世代のリーダー像は考え方が違ってくるのだろう。
 今までを築いてくれた先輩たちからどう知恵をいただきながら、いかにこれからの新しい市場に対して、新しい考え方に向かって我々がどうビジョンを示していけるか、ということが地域のリーダーにとってすごく重要になってくる。

 遠藤 人間に生存本能があるように、国家や民族にも生存本能がある。日本国家や日本民族はまだまだ生存本能を残していると思う。私が若い学生たちに言うのは、「後発の利益」を存分に享受せよ、ということ。若ければ若いほど、後発の利益の享受者たりうる。先人の経験と知恵を自分の利益として享受できる。それが歴史に学ぶということだ。
 「今時の若い者は……」というのは昔から年長者が口にしたくなるセリフだ。長ずれば長ずるだけ経験の幅が広がってくるから、その目から見れば「今時の……」という言葉が口を衝いて出るのだが、「今時の若い者」には年長者が培ってきたいろんなものを土台にして、さらに豊かにしていくという特権がある。そこにこそ、衰亡しない共同体の強さがある。
 それは連続性を大事にするということだ。戦後という短いスパンで見ると、戦後日本社会で通用してきたリーダー論は通用しなくなっているが、百数十年前の明治維新のような離れ業を我々の先輩がやったのは何か。それは惰性に落ち込んだ江戸官僚政治からどう脱却するかというかという課題に正面から向き合ったということだ。
 織田、豊臣、徳川の時に一つの体制ができた。この時も、大変革をした。そこでも結局連続性を大切にしつつ、後発の利益を最大限に享受し、進取の気質に富んだ者が統一という大事業を完成させている。連続してきたものの上に、新たに何かを積み重ねようという時、ちょっと冒険しジャンプする。そうした勇気が国難を克服する。
 現時点の我々もそれに直面している。地域のリーダーであろうと国家、国際社会のリーダーであろうと、長い歴史的なスパンから発想し、耐え、決断し、乗り越えていくということ。
 早くから一国一文明の文明社会を形成し、その連続性の最先端にいる我々は、実はかなり有利だ。その有利さを最大限に生かすのと同時に、過去に対して謙虚になるということが大切だ。

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