第一弾記念対談

3者鼎談

鼎談ゲスト:泉田裕彦氏(新潟県知事)・村山秀幸氏(上越市長)

進行役:市川裕光(公益社団法人 上越青年会議所 第50代理事長)_MG_7883_R

☆地域の誇り 「若い力」発信を!

 

[市川理事長] 上越市は今年、高田開府400年を迎える記念すべき年になります。この長きに渡る400年の歴史、先人達が故郷を想う気持ちがこの歴史を紡いで現在の上越市を創り上げて来たと考えております。ただ近年の若い世代は実際自分たちの故郷になかなか興味や誇りといった気持ちを持っていないのではないかと感じております。私たち上越JCは高田開府400年をきっかけに若い世代に次の100年に向けて自分たちの街への誇りを感じてもらう、そんな取り組みをしていきたいと考えております。

市民が街の魅力に気づいて、街を誇る気持ちを取り戻し、それが日本の希望である若者たちが魅力や誇りを持つ、さらにそれを伝えていく事が私たち故郷上越市の未来の発展に繋がるものと考えている。そう言った取り組みを今後していきますが、お二人からこのような取り組みについての見解をお願いしたいと思います。

[泉田知事] 最近の若者が政治、行政、こういったところに関心を持っているのかと考えてみると、環境が厳しくなっている面がある気がする。新聞を読んで社会の動きに関心を持っても、それを態度表明できる環境が昔より今の方が難しくなっているのではないかと感じる。我々が学生の頃の高齢化率と今の高齢化率とを比べると高齢化率は確実に進んでいる。そうするとどうなるか。人生豊かな先輩たちがたくさん居られるので、言いたいけどそれを言うとその反動が大きいではないか、と言う重荷を背負っている度合いが今の方が強いような気がする。生まれ育った街に対する愛着が今の方が薄いのかと言うと「故郷の範囲」が変わっただけなのかもしれません。なぜなら、私の学生時代は、モータリーゼーションが進んではいたが、今ほど車社会ではなかったと感じる。私の地元は加茂だが、加茂から新潟に行くには電車であった。車で個人が自由に行くと言う感じではなかった。高速道路に至っては、北陸自動車道がようやく開通しましたが上越まではまだ繋がっていなかった。だから個人で動ける範囲が狭かったのである。道路事情の発達に伴い、故郷の範囲は今の方が広がっているのかもしれないと感じる事がある。友人や仕事に対して地域社会との繋がりを持っているわけですが、地域社会と言う範囲が昔より今の方が広いと思う。

今年は、高田開府400年だが、高田と直江津が合併する前、お互い別の街だったのが今は上越と言う1つの街になった。さらに市町村合併して大きくなって、先輩方を多く抱えています。そして、住んでいる所の地域社会を良くしようという想い、それから「俺はこう思う、僕はこう思う、私はこう思うと」言う話をぜひ言っていただきたい。現在と過去の状況変化の中で生じた誤差を飲み込んだ上で、特に上越JCの皆さんは次世代のリーダーに足りうる人材が揃っているので、私は大いに期待している。こう言う企画をする事自身がそもそも関心を持っているという事ではないか。もっと自信を持って思いっきり前に進んでいってほしい。

 

[村山市長] 今、我々は時代を繋げていく、生きると言う事は知事の言うとおりだと思う。

皆さんは40歳で卒業だとすると、あと50年経って高田開府450年の時には90歳になっている訳ですから、今ある節目を次の時代に繋ぎ、考え直す良いきっかけになると思う。若い人達が中心になり、節目をきっかけに新しい街づくりに進み、自分たちの気持ちをしっかりと語っていくことが大事だと思う。我々の若い時には色々なことを吸収し知識としてそれを元に考えた。今の人たちは既に知っていることでも、知っていることから次のステップに進む事がなかなかできないのではないか。知識や情報はたくさんあるのにその情報を活かして何をするとか、何を発言するかという事がなかなかできないように感じる。それは世代なのか環境なのか、その事を打破すると次の新しいステップに繋がると思う。知っている事は価値だと思うが、その知っていることを考えることによって新しい価値に変えて本当に自分たちが何かする、この開府400年がそう言うきっかけになって欲しいと思っている。

高田は開府400年ですが1614年に街づくりが始まったと言われている。しかしその前の1530年には謙信が生まれていて、春日山城があり、そのあと直江津の福島城になり、そして高田城。80年位の間にこの小さいエリアに3つの城があったという事は全国にも無いことだ。そう言うことを取り込みながら持っている旺盛な知識を大事にしながら、自分で考え前に進んでいくということが新しい街づくりに繋がると思い、またそれが開府400年の意味ではと思っている。

[泉田知事] 今、市長のお話の中でそうだなと納得する事が多いのだが、特に情報環境という面においては意外と発信しているかもしれない。我々の若い頃は社会に向かって発信するツールがほとんど無かった。私は中学の時は放送部に入っており、喋りたかったのか情報を発信するツールを求めていたような気がする。今はインターネットを使って情報収集も出来、発信方法も充実している。決して無関心ということでは必ずしもなくて、むしろ環境が違う中で街づくりを伝えていきたいとのではないかとお話を聞いていて改めて思った。

[泉田知事] 現在、上越JCの皆さんは、旧市町村単位で言うと相当広がっていますよね。

[市川理事長] はい、そうですね。もちろん旧市町村のメンバーも居ます。

[泉田知事] という事である。高田市、直江津市の時代から見ると、とんでもなく広がりを持ったと言う事になるのではないか。

[市川理事長] 我々JCは、40歳迄の団体なので、若い力で積極的に発信することが必要と思っている。高田開府400年のテーマに限らず、色んなテーマで積極果敢に発信していきたいといく。

_MG_7922_R

 ☆新エネルギー 夢ある資源がわが街に!

[市川理事長] 東日本大震災を機に新しいエネルギーが、報道でクローズアップされている。とりわけ、佐渡・上越沖には地下資源として、メタンハイドレート(以下:MH)が新しいエネルギーとして報道され、商業化に向け着手されている。ただ、広く私たち上越市民がどれだけ知識として知っているか、エネルギーに対しての期待度はまだまだ低いのではと思う。私たちは、MHを中心に新しいエネルギーをこの上越から採掘し、20年後30年後もっと先いつになるか不明だが、これが上越の明るい豊かな未来の豊富な資源となり、上越からエネルギーを発信し、そしてエネルギーの供給地になるよう、運動をしていく。まだまだ、未知数なエネルギーではあるが、未来を変革するようなエネルギーが、上越・新潟に埋蔵している。このエネルギーについて見解をお聞かせ頂きたい。 

[村山市長] 上越は、ずいぶん早くから調査をしていたが、昨年末に良いお話が入ってきた。上越沖と能登半島の西方沖の2つの場所に存在している。商業ベースにのるには時間が掛かると思うが、洋上のプラットホームを作るとなれば、後方支援の拠点港として直江津港が生きると思う。積極的に売り込んでいくための役割を果していきたい。

[泉田知事] 先日、エネルギー省の燃料部長が来られ実際MHの映像を見せていただき確認した。太平洋側のMHは、砂の層の中に埋まっていて、減圧する中で吸い上げなければならない。上越沖、佐渡沖にあるMHは、直径200mぐらいのものが、塊でそこにある。深さが数百mの所に白いMHがそのままある。そして、MHを石炭に例えると、石炭の掘方には2種類ある。一つ目は炭鉱を掘って少しずつ削り取るタイプで、これはコストがかかり、日本の炭鉱方法では採算が合わない。二つ目オーストラリアの炭鉱方法は、石炭の層が表に出ている場合は、下に堀り進んで行くだけなのでコストをあまりかけずに生産できる。MHはどうなのかと言うと、今後10年間ぐらいで実用化してほしいと期待しており、意図は二つある。一つは、日本近海に200年分ぐらいのエネルギーがある。資源があるということは、エネルギーの調達コストが下がる可能性がある。二つ目に技術開発が10年という期間ですが、もう少し前倒ししてほしい。それは現在の我が国の経済にプラスに影響する可能性がある。国としても本気で取り組むメリットがある構造になっている。純粋なMHが上越、佐渡沖にあるので、発掘技術が確立すれば極めて効率よく取れると思う。私が考えるには、UFOキャッチャーを巨大にしたものと、漏斗を逆さにしたもので取れないかと思っている。200mぐらいの円形になっているので、巨大な漏斗みたいなものを被せて減圧すると気体になるので、気体として取れるようになる。知恵の出し方なのだが、日本の未来と地域の発展をかけて国が取り組んだ成果をいかに地方におろすかである。コンセンサスづくりをしたいと思う。1970年以前のOPECと1970年代以降のOPECの違いは何だったか。地域を豊かにできる仕組みを作れるのかどうか、今から5年ぐらいの間が重要な時期になると思う。例えばOPECの1970年以前は、石油は出るが豊かになるのは西洋諸国であって、OPECは相変わらず砂漠でお姫様をラクダで引く世界だった。それがどうして豊かになったかと言うと、油田を国営化したからである。採掘権と出資の問題だと思う。上越市も同じだと思うが、今期の私の公約が「未来への投資」である。子育て、教育これは未来の投資であることには間違いないが、同時に県が直接出資することも排除せずに採掘権を設定する主体を作り上げていくと、利権割合分だけはメリットとしてお金が入ってくる。地方交付税で都会から地方へお金を恵んでもらうということは、地域間の発展として対等になりません。若い人は東京を目指そうとする。なぜ日本は東京を目指すのか。むしろ恵んであげる側になるくらいの気持ちをもって地域の資源をどう活用するかである。あとUAEだが、いずれ無くなる資源でどう国づくりをするのか。金融資本都市を作り上げて世界に人と情報が集まる都市を建設している。エネルギーが有限であるものだとすると、得た資金でどう地域づくりをして自主回転していくか、グランドデザインを書くべき時期にきている。技術開発は国がするが、地域としてコンセンサスを作り、一定割合の採掘権利を獲得したうえで、未来の投資にまわしていく仕組みを数年かけてつくり上げていかなければならない。投資をしてリターンを地域に戻せばそこに人が集まる。人のネットワークが重要で、人のネットワークがある所に情報が集まり、情報が集まるとお金が後からついてくる。そういった仕組みを目指していかなければならない。青年会議所の皆さんは、社会の中核で活躍されるであろう20年後を目標に、多くの人と夢を引き寄せるような設計資金があるという前提で取り組むことが大事ではないかと思う。

[市川理事長] まだ、正式な名前MHをメタンハイドレードと言う人もいる。まだ理解が低いのかと思う。我が町には夢のある地下資源があることを広めていって20年後の未来地図を描いていきたい。

[泉田知事]  上越は日本のドバイを目指せ。こういうことではないか。

[村山市長]  そこにパイプラインも関係してくる。

[泉田知事]  ロシアではシェールガスが出ている。日本にもMHがあり、世界はエネルギーが余っているかもしれない状況が起きたとすると、どういうことが起こるか。アメリカは恐らく国内で生産するエネルギーで中東依存を脱却してしまう。中東は売り先が無くなる中でヨーロッパに行く。ヨーロッパはロシアから買わなくなる。ロシアは売り先がなくなるので中国に売りたいはず。情報によると、1バレルで中国は2$で買いたい。ロシアは8$で売りたい。アメリカ国内は2$から4$ぐらい。日本は今いくらで買っているかというと、15$から16$で買っている。なので9$で買う言ったらおいしいわけである。LNGで持ってきてはダメである。LNGにする時に圧縮すると、どうしても量が減るので価格が高くななる。パイプラインを引いておけば圧縮するコストが不要になり安く買える。逆に生産国からすれば高く売れる。彼らの希望より1$高く買いますと言っても両方がWin-Winになる可能性がある。日本海側は深いから難しいという話があったが、北海沖で3,000~3,300mぐらい。オマーンとインドの間でパイプラインでは、深いところで3,300mはある。この深い海底にパイプラインを引ける技術を持っているのは日本だけで高性能のパイプラインを世界に発信することになる。ロシアはMHを持っている日本に早く売っておかないと国家収入の6割をエネルギーの販売に依存しているので、大変難しい立場になる。MHをどこに引っ張ってくるか、漁港の領海を1つ取って日本海横断パイプラインなら1箇所でいい。太平洋側だといっぱい漁港の領海を取らなくてはいけない。太平洋側は建設に5000億円かかると言っているが、こちらは3,000数億円だろうということなので政府の資料にも入ったわけですし、是非実現を目指して頑張りたい。

_MG_7899_R

 ☆防災ネットワーク コミュニティー再構築を!

[市川理事長] 2011年3月の東日本大震災をはじめ、昨年の数度の大型台風やゲリラ豪雨など様々な災害が日本に大打撃を残している。これからもその様な災害がいつ発生するかもわからない状況に備え的確に行動するため、最も重要である事に、地域住民の連携は必要不可欠であり、今一度見つめ直す必要があると考える。コミュニティを基本軸として、地域一人一人の防災意識の向上を図り各々が連携することで、防災ネットワークが醸成し、全体を通して安心安全な暮らし、そして防災都市を目指すことが必要であると考える。

そこで、上越JCでは本年度、様々災いを防ぐことを総合的に「防災」として捉え防災都市推進に向け今後、防災に関する基礎知識を学び防災意識を醸成するとともに、上越市におけるコミュニティ・関係諸団体同士の連携、すなわち防災ネットワーク構築の必要性について提案する。そして公開例会の中で、県内事例を教訓とした防災都市推進の必要性を市民に示して、有事に備える日常レベルでの取り組みとして具体的な提案を行い、上越市独自の防災に関する備えとシステム実用化に向けた提言を行う。

防災という観点からコミュニティを見つめ直し意識改革と連携を図っていくことが、住みやすい環境・まちづくりにも波及すると考え。すなわち、防災ネットワーク確立から防災意識の高い都市を形成することが安心安全な暮らしの確立に繋がると確信しているが、この様な運動についてどう思いますか。  

[村山市長] 不幸にして起きた東日本大震災、その前の阪神淡路大震災など大きな災害から防災に対する意識が随分高まったと思う。その中で、大きく変わってきたのは東日本大震災の後。それまでは言わなかった自助共助という言葉が使われるようになった。有事の際、行政にまる投げするのではなくて自助共助というとおり自らの事は自らで守るということである。さらに、行政の取り組みについても変わってきた部分があると思っている。その中で私たちが今どの様にやっているかと言うと、防災士という防災の専門家を市民の中に育てようとしている。平成18年から24年までで500人の防災士が誕生した。上越市は町内会800以上あり、うち744町内会に、自主防災組織は609の自主防災組織が組織されている。そういう形の中で自主防災組織が編成され、防災士をはじめ防災に対する力を持つ地域作りに5年ぐらい務めてきた。それがある程度見えてきたが、まだ問題はある。総論では語れないが、例えば車椅子に乗って一人で住んでいるお爺さんをいざと言う時、誰が面倒みるのか。そのレベルまで地域ごとに物事を整理しておかないと本当の防災や災害の時の対応ができない。地域の防災組織と防災士を含めて、どこにどなたが居られるかというマップみたいなものを作って、いざと言う時にどのように対応すればいいか、整理をしている。先日の大雨の時にも、あの家のお婆さんを2階に上げなければならないとき、地域の人たちが手を取って2階に上げ、水災に耐えられるような対応をしたという事例がいくつも出ている。やはり人のコミュニティ、ネットワークそして防災関係の皆さんとの関係性をもっと強めていくことが必要。安心と安全な街作りにする取組みを市民と一緒になり、町内会や組織としてやっていく必要があると思っている。そうしないと本当の安心安全というのが地域の真ん中で生まれてこないと思っており、これからもそのような取組みを強めて行きたいと思っている。

[泉田知事] コミュニティというのは最近特に強調される。何が起きたのか考えると、社会構造の変化が起きたと思っている。たとえば昭和30年代の三八豪雪があったが地域のつながりや協調をする必要もなく、もともとコミュニティがあった。隣近所、両隣に加えて大家族が普通で屋根の雪下ろしを、地域でやってもらうという発想が無かったと思う。そもそも家族の中でお爺さんお婆さんはコタツの中にいて若い衆が屋根に上って雪下ろしをしていた。朝起きて当番で玄関から道路まで雪かきをするのが当たり前で、特にコミュニティと言うものを強調する必要もなく社会が回っていた。昭和30年代から現在まで何が起こったのか考えて見ると、世帯人数の減少、各家族化の進展、それから子供が自立した事による高齢者単独世帯の増加などが起きていると思う。さらに稲作耕作の農村社会から特に新潟市、それから長岡市、上越市など新潟県内では都市化が進んだ。マンション集合住宅が増え、子供一人の核家族が増えて、隣が何をしているか知らないというような環境が増えてきた。その裏表の関係で高齢者が地域に取り残されている。だから災害対応をどうするのかという話になっていると思う。地域防災力を復活させると言うよりも初めての課題に対してチャレンジをしていると言うことになるので、防災士や地域コミュニティを育成していくことが極めて重要になる。この先、根本的な問題として高齢化が進んで高齢者単独世帯が増えていくことになる。老後介護という言葉が代表的だと思うが、防災士も年齢は75歳を超えている…様な話になってくると次にどうしなければならないのかを考える必要がある。地域中核で活動する人材をどう育成していくのか、これはやはり早急に考える必要があると思う。それは現在あるシステムを整備して終わりということにならず、地域社会全体をどう再構築していけばいいかという課題。上越市中心部とそれぞれの地域で役割分担どのように作っていくのか、合併効果の検証ということも踏まえて、コミュニティ支援策を行うことが防災対策の強化で必要不可欠だと思う。新潟県として合併の効果検証も踏まえて上越市とも相談しながら今後のあり方議論していきたいと考えている。若手や地域で中核の人材をどう育てるのか、さっきのエネルギーはチャンスかもしれない。農業は付加価値を伸ばす可能性が高いと思っている。新潟県人会で海外に行かれた人で最も成功している人は農業経営である。「付加価値の高い物を作る」ということと「良いもの作る」ということを同じだと誤解している人がいるのだが、販売価格マイナス原材料費が付加価値だから、「いかに高く売るか」を考えることが重要だと思っている。ぜひコミュニティの育成なので市と協力しながらサポートに行きたいと思う。

[村山市長] しかし上越市の残りの町内会では高齢者の為、希望があっても自主防災組織を作れないのが現状。既に限界にきていて、その地域をどうやって支えるかが課題。今、知事おっしゃった通りだが、まさに新しい挑戦と言うか次の時代どうするかというか現実に突きつけられている部分がある。そこを解決しないと全部解決した事にならない。自主防災組織ができない地域、防災士が居ない地域をどうするのかということは、知事おっしゃった通りだと思う。それは行政を含めて知恵を出さなければいけないと思っている。

_MG_7929_R

 ☆北陸新幹線 50年来の夢実現へ!

[市川理事長] 2015年に北陸新幹線が開業。しかし、様々なビジネスチャンスの期待感より、人口流出や単なる通過駅にしか過ぎないといった危機感の方が、期待感より増している。そういった危機感から既に積極的に人々を呼び込もうと考える市民が少ないムードも漂っている。だが、上越市の更なる発展の期待の星である北陸新幹線の開業が、危機感から好転し50年来の地域の夢の実現に市民一人一人が喜び、期待に胸を膨らませる事が一番重要であると考える。そうなる為に、これからのまちづくりや意識改革及び意識向上に向けて上越JCでは今年「美と癒し・食と健康まち上越」を女性目線という観点での事業をすすめていく。それらの事業でより観光客で溢れる魅力あるまちになる為には、それぞれどう思うか。

[泉田知事] まず北陸新幹線の与える影響だが、都市圏がつながることを考えた時にどうなるかという基本的な構造を先にお話しする。今まで金沢・富山は西に近ければ近いほど大阪圏との結びつきが強くて、6:4か7:3で関西圏の方に結びついていた。だから北陸本線が特急銀座になっているのだ。北陸新幹線は首都圏との関係で考えると、富山・金沢を目的地とする新幹線であり、基本的には世の中はそのように受け取ると思う。したがって東京圏で上越の宣伝を一生懸命やっても、長野・富山・金沢に比べて、どれだけの方から上越にお越しいただけるかということは、厳しめに考えておいた方がいいと思う。

一方、北陸圏とつながるため、北陸からたくさんの方が来てくれるだろうと思っているかもしれないが、例えば上越から富山空港へ行くときは、新幹線で行くだろうか。車が多い。実は近距離は車である。新幹線というのは長距離高速移動の手段なので、近県からの来越者を考えてもそれは机上の空論である。普通に考えたら2次交通もあるので車が便利である。近県とは高速道路の方に軍配が上がるという現実である。実際上越新幹線が開業した時に、上越の方も新潟の方も、例えば熊谷を目指したか。皆、東京を目指したはず。熊谷駅で降りた人がどれだけいるかと聞いてみればわかるのだが、高崎駅ですら降りたことがない人が結構いる。同じ状況が金沢・富山からの東京行きの乗客に生じるという現実は、踏まえておいた方がいいと思う。そういった中でWin-Winの関係を築けるのは関西圏である。北陸圏というのは人口200万人しかいないのだが、関西圏はその10倍ある。それで大阪から見たときのJR西日本の最長営業距離というのは博多までの山陽新幹線というのがドル箱になっている。ところが、もう一個ドル箱が増える可能性がある。それが上越妙高駅までの北陸新幹線ルートです。これも大阪からみるとJR西日本管内から東に向かう最長距離の一つとなる。例えば九州新幹線が開業した時に関西の人は九州目指した。「ななつ星」という列車もあり、九州新幹線に乗るためだけに九州行くというお客さんがいた。そうすると関西圏の人は、金沢まで来ても新幹線に乗れない。北陸新幹線に乗るためには金沢から新幹線に乗ってディスティネーション(目的地)を求めなければいけない。関西圏から来た人が金沢で乗り換えて東京を目指すか。目指さない。関西の奥座敷としてのJR西日本の最長営業路線の到着駅が上越妙高駅になっているという現実がある。JR東日本は今度金沢に支社を作る。それでここから誘客しようという目的で根本利益を彼らは狙っている。JR西日本の路線だが、最後東京を目指すというのが前提になっているから、ここで誘客したい。元々上杉謙信、戦国時代、さらには上杉景勝の時代でいうと大阪を相手に五大老の一人が上杉家であったので、当然関西との繋がりっていうのもある。甲子園球場に銅像が立っているが、あの方は新潟県人である。アサヒビールも創始者は新潟県人であり、琵琶湖周航の歌の作詞作曲者の吉田さんも新潟県人である。それだけ元々新潟と関西は縁があったのに今は途切れている。それから関西の旅行会社にとって、最も利益の出る路線としての目的地をどう設定するかというのが問題だと思う。単においしいもの・健康というものもあるが、新幹線に乗りに来るということも一つの魅力であり、並行在来線をそのときにどうキラーコンテンツとして活用するかが課題。これで北陸線区間と信越線区間を比べると、信越線区間の方がいい。なぜかと言うとスイッチバックがあってトンネルが少ない。北陸線区間はトンネルばかりという所もあるので、景色を楽しむのなら信越線区間である。もう一つは、意外だと思われるかもしれないが、私は大糸線だと思っている。自然環境に弱いということもあるのだが、逆に言うと風光明媚である。この大糸線に顧客を誘導することができれば、レトロな車両を走らせた方がいいし、リゾート列車も今度の並行在来線会社に投入するので、新駅も作ろうと思っているので、要望があればお待ちしている。来年度年頭にやりたいと思っているが、そういった地域の歴史とか文化とか関西とのつながりの再発見が大切。あとは佐渡。東京で売ると最も売れる人数と金額が佐渡。これが一泊二日で十分行ける距離圏に入ってくるというところである。こういった人たちをどう誘導していくのか、鉄道ファンに関心を持ってもらうのか、食でいくのか、女性だけなのかというと私はもうちょっと色々可能性があるのではないかと思う。無論企業の社内旅行だってターゲット。団体旅行だって狙うというような中で、こんな企画どうですかと持っていったらどうだろうか。あらゆる可能性は排除せずにいくというのが私はいいのではないかと思う。

[村山市長] 知事は京都大学だから関西のメンタリティを越後に向ける考えがあるので、角度を変えれば、我々自身が新幹線をどうやって活かしていくかが問われていると思う。来ることに対しては例えば、そこに行かねば食べられない物、そこに行かなければ見られない物、そこに行かなければ買えない物、こういう物を我々が確実に持つか持たないかというのがディスティネーションになるかならないか選ばれるか選ばれないかということになると思う。そして、我々自身が新幹線を活かしながら生活の質を変えていく、生活の豊かさが実感できる、通学とか通勤とかその時間距離の中でできることは随分出てくる。このような部分に使っていくことによって、我々の生活が変わっていくという風にして豊かさを実感するというのが本当は大事なのだろうと思う。だから、開業がスタートであって、もちろん終着ではなく、そこから色々な工夫をしながら、あんなことも利用できた、こんなこともあったねという話になっていくと思う。以前、富山の銀行の支店長とお話ししたのだが、ある富山県の企業では、北陸にしか自分たちのエリアが無いが、既に首都圏にまで目を向けて仕掛けており、上越に自分たちの会社を作り、「新潟の営業所にも長野の営業所にもなります。」という動きが既に富山の企業の中に出てきているそうだ。「上越に企業誘致っていうのも大事ですね。」という話がこの間あった。そのように我々が想像もしない動きが企業に出ている。だから、以上の事を踏まえると上越が通過地点になると皆さんがおっしゃるが、通過地点になって佐渡に行ったとしても、結果的に確実に我々に何か地域にもたらしてくれる物があるだろうと思う。また、長野の善光寺の御開帳が来年の4月6日だそうだ。新幹線の開業が3月なので、御開帳と重なる時期は上越での観桜会と重なる。今まで650万人ぐらいしか来なかった人たちが今度は関西から御開帳にどれくらい来るか、どれだけ長野にPRできるかによっては700万人とか750万人になり得る。その増えた分、上越での観桜会が増えるかもしれない。その時その時の色々な仕掛けの中でお互いの持っている強さを発揮する連携というのが大事だと思っているので、知事のお話と私たちが自分たちの生活に新幹線を活かしていくという両面が新幹線の効用だと思っている。

[市川理事長] 今年もそうだが、来年も上越市が全国に発信する大きなイベントなので、私たち上越JCがこの地に住まう経済団体として、しっかり高田開府400年や、新幹線開業等しっかりそれらのイベントに追従しながら、またJC独自の観点で事業を展開してまいりたい。

[泉田知事]  一つお願いだが、是非、電車に乗ろうというのをJCから積極的にやって頂きたい。「鉄道のあるまちづくり」として、多くの人に乗って頂きたいのと、駅の乗り換えもお金をかけて新幹線駅と直結させるわけなので、これが出来る仕組みを考えて欲しい。またこれから新駅を作るのであれば、パーク&ライドを視野に入れ、進出企業を誘致したり、なければ駅前を全部駐車場にして、車との接点、電車とのまちづくりをどうするかという観点を是非持って頂きたいと思う。

[村山市長]  ときめき鉄道が地元に出て、その効用をきっと我々が受け取らなければいけないので、「電車のある風景」って良いと思う。先ほどのスイッチバックは11月2日のイーストアイの時に鉄道ファンが、一泊4万3千円のツアーに35人来られた。それで一日目はスイッチバック見て、次の日はコッペル号を見に行き、翌朝6時20分に上越妙高駅にて、みんなで旗振るというツアーに35人も来て下さると言うのだから。

[泉田知事] スイッチバックを見たいという目的がある。あと支線で運転できる仕組みがあったらいいと思う。検討は支持している。ここから100mとか、営業区間外とか。

[市川理事長] ちょっと余談だが、世界の鉄道番組が放映していて、実際に運転席の中に入れるようになっていた。

[泉田知事] 入れるだけでなく、運転できたら尚良い。パック商品か何かで5万5千円で運転もできる等色々可能性は追及していくべき。新幹線に乗ってきて下さいっていう企画でも良いと思う。

[市川理事長] そんな考えを実現できるか検討したい。

[泉田知事]  事務方は検討しているので聞きに行ってほしい。どこからどこまで可能性があるかどうか。

[村山市長]  県の職員が通勤時に電車使うという支援策や、同じ電車に乗ってもらう為に観光視点で運転席に入って運転できる企画という内容である。

[市川理事長] ひとまず私たちは高田で飲食をしたら、二次会は直江津に電車で移動してということ。

[泉田知事・村山市長] 賛同。

[泉田知事]  あと駅前に更に繁華街を用意し、みんな電車で近くまで行き、帰りは終電をはじめ公共交通機関を使うといった色んな考えが広がると良い。

[村山市長] ときめき鉄道は夜の酔客に何時に発車するといった最終電車の案内が出るかもしれない。

[泉田知事] あと上越市役所の前にある、駅舎を市職員全員が利用できるようになったら、また全然違うのではないかと思う。

[村山市長] 職員が一番近いですよね。

[市川理事長] 現在は下をくぐらないと中々。

[泉田知事]  ちょっと離れた所に乗り換えのパーク&ライドのポイントを用意しておけば、みんな電車で来て、電車で帰れるという。色々市長にも協力してほしい。

[村山市長]  新潟から色々なアイデアが出て、我々がどこでしっかりそれをキャッチアップするかである。

[泉田知事]  あと四セク化というのもあり、企業に株主になってもらい株主優待券が出るなら乗ってくれるはず。勿論券を忘れてきた際は払って頂く。市民が愛着あるマイレール意識をもつことで新幹線につながり、未来につながる鉄路だという意識を大勢の人に持って頂きたい。

[村山市長]  この間、上越しゅしゅクラブという女性の会が直江津から妙高高原までお座敷列車を運行した。それに私も乗せてもらったが、スイッチバックをせずに真っすぐ上がったのだが、妙高高原までだったので乗車は三時間くらいで下ってきたんですけど、色々な中身を考えると五時間位のボリュームがあった。

[泉田知事]  それで温泉入ってきて、紅葉狩りでもできたら最高である。

[村山市長]  そして勾配が何ともいえない。知事がおっしゃったように信越本線の山線を走っていると絶えず勾配がでてくる。勾配が何ともいえない雰囲気でその日は雪がチラチラ降っていた。いい企画だった。

[泉田知事]  良い宝がいっぱいある。

[村山市長]  そうである。

[市川理事長] いい参考とヒントが頂けたと思う。ありがとうございます。

 

 ☆JC50周年へのエール 未来のリーダー失敗を恐れずに!

[市川理事長] 私たち上越JCは、1965年に高田青年会議所と直江津青年会議所が合併しまして、今年で50周年という節目である。今まで、上越JCでは50年で色々な事業や活動をしてきた。

また、新潟県や上越市におかれては、私達のこれまでの先輩たちが、色々な事業において行政の方々と連携させて頂いたかと思う。

最後に、今まで多くのJCと関わりがあったかと思うお2人がそれぞれ考えるJCについてお聞かせて頂きたい。そして私達の明日からのJC運動の糧としていく為に、エールという意味も込めてお願いしたい。

 

[村山市長] 私は25年位前、JCそのものは、何か分からなかったちょうど40歳の時に、県の企画課という部署にいたのだが、その時に新潟JCの皆さんとはじめて出会った。出会った時にその人達の熱い語りが、本当に私にとって強い衝撃を受けた。同じ世代の人達がこんなに真剣にいろんな事を考えているのだという風に思ったのが、私が40歳の時、25年前である。

その時の新潟JCの理事長は佐藤氏であった。その懐かしい記憶の中に、「自分とは違い、こんなに自由に将来、そして町を語れる人達がこれだけいるのだ」と思った。その出会いがすごく、その足で上越市に行ったときに、上越JCの理事長である木浦氏がそこにいらっしゃった。

そういう事の中で国に行ったら、麻生氏が日本JCの会頭をしたということで、またその方も凄い人だと思った。

そんな事をずっと思ってくると、JCの皆さんというのは、やっぱり地域の中である種の何か精神力というか、エンジンになっている部分があるかと思う。それは若いから可能性がないとか、実現可能性がないといって止めるのではなくて、まさにその事で穴を掘っていけば、先に何かが見えるという事があると思うから、皆さん自身がこの世代でなければ出来ない発信について、是非大きな町の活力としてこれからも訴えてほしいと思う。そして、我々も耳を傾けながら前に進んで行きたいと思っているので是非ご活躍頂きたい。大いに期待している。

[泉田知事] JCの皆さんは、未来のリーダー候補だと思う。

JCは、40歳で卒業であるので、直前理事長だと41歳という事になると思うのだが、市長流に言うと、初めてJCとお付き合いさせて頂いたのが、41歳の選挙の時に色々と語り合った。直前理事長がまさに同級生という時に、JCと色々コミュニケーションをとらせてもらったというのが深く接触させてもらった最初だった。JCで活動された方は、やはり域のリーダーとしての経験を積んでいる。

この次に、日本のリーダー、新潟のリーダーになっていく人っていうのは、その経験者の方が、やはり次に色々な活動がしやすい環境が整っている。まさにJCに入会している事によって得た人の繋がり。これは、大きな財産だと思う。

皆さんが、経済団体の中で、20年後、30年後、重要な役割を果たされるとは思うが、JCでの経験というのは正に財産。地域をいかに良くしていくかというための訓練をしている期間だと思って頂いて良いのではないかと思う。だからJCにいるときに失敗を恐れずに突入して欲しい。向う傷を評価されるという事で、どこまでやると何ができる、どこまでやるとやりすぎなのかという事も含めて是非色々な経験をして頂きたいと思う。それが、次世代の強いリーダーを作る、また地域にとっての宝になるということだと思うので、皆様方の活躍、失敗も含めて期待している。頑張って下さい。

_MG_7938_R